2015-08-02

個人の目標設定をするときに気をつけたいこと

昨日のエントリに関連する話。個人の目標設定について。

1年または半年の単位で個人の目標を設定し、業績評価の時期になったら目標達成度合いを評価するというのは、ほぼどの会社でもやっていることだと思う。

ちょうど今日、個人目標を設定していたのだけど、個人目標といえどもやはり会社目線で設定しないといけないなぁと、至極当たり前のことを感じた(笑)。

まずは会社の戦略・方向性があって、そこからブレイクダウンした形で直接の上司の期待値があるはずなので、そこから大きくずれないような目標を設定する必要がある。
目標設定の機会というのは、会社や上司の期待内容と自分のやりたいことを摺り合わせる重要な機会でもあるので、ここは面倒がらずにきちんと上司とコミュニケーションを取りながら進めるのがベター。ここできちんと主張しないと、一方的に会社の都合で仕事を振られる事態になりかねない。

ちなみに、会社や上司の期待内容と自分のやりたいことや目標がどうしても摺り合わないときは、その会社やプロジェクトに居続けるかどうかを考え直した方がいい。そういう意味でも、定期的な個人目標設定って大事だと思う。


また、やりがちなのは「○○出来るようになること」みたいな自分のスキルや能力の向上そのものを目標にしてしまうケース。これって自分目線では確かに重要なことなんだけど、会社からすれば「だから?会社としては何が嬉しいの?」ってことになる。やはり最終的なアウトプットなり、会社やプロジェクトへの貢献内容を軸として目標設定しなければ意味がない。
「○○出来るようになること」というのは会社にとっては目標ではなく、目標を達成するためのアクションなり手段の一つにしか過ぎない。

海外プロジェクトを例として考えると、以下のような違い。
×:「英語でコミュニケーションできるようになること」
○:「●●の領域で作業計画を作成・関係者と合意し、計画通りに進めること」

2番目の目標を達成するための一つの手段として1番目が必要だけど、1番目はそれ自体では会社にとっての価値が分からない。

こういう視点の切り替えは目標設定に限った話ではなく、仕事をして何かしらの価値を社会に提供する上で、常に必要なことだと思う。つまりは相手目線で考えるということ。
例えば顧客と会話する場合も顧客目線で発言できるかどうかが重要なポイントだし、優秀な人の特徴の一つとして、「相手目線に切り替えて考えることが習慣化している」というのがあると思う。


2015-08-01

休暇を取って考えたこと。家族のこと、自分の今後のことなど。

先週から今週にかけてまとめて有給休暇を取り、バンコクから日本に一時帰国。少しゆっくりすることが出来た。

社内研修、健康診断、運転免許更新といくつかやることがあり、のんびりというまでには行かなかったが、そんな中でも母親含めて小旅行にも行くことが出来たのは良かった。3年前に父親を亡くしたこともあるが、やはり限られた時間でも親孝行はきちんとしておきたいし、そいういうことをするたびに、家族や祖先に対する感謝の気持ちを持つことが出来る。

ところで休暇を取って、定期的に日常から距離を置く時間を取ることは重要だと思う。家族との時間を取れるのはもちろん、自分や自分を取り巻く環境を俯瞰的または異なる角度から眺める良い機会になる。

例えばバンコクの駐在生活というのは期間がほぼ決まっており、最大でも3年。この3年で何をするか?3年終わった先に何をしたいか?ということはある程度こちらでの生活が慣れてきた今くらいのタイミングできちんと考えておきたいテーマである。

おそらく、それを考えるためには会社の事業戦略や方向性と、個人的な目標なりやりたいことの両方から考えた方がいい。やはり会社にいる以上、会社の枠組みの中で働くことになるわけで、会社の方向性をきちんと押さえて、自分なりの戦略を立てておきたい。ちなみに会社の事業戦略や方向性を理解するための一番の近道は、経営層と直接会話することだろう。やはり生の声に勝る情報はない。

また、所属する会社にとらわれず外部の意見を取り入れることも必要だろう。例えば、自分の例で言うと、転職市場の動向や東南アジアやインドでの業務経験がマーケット的にどの程度価値があるのか、といった情報を転職エージェント等から仕入れるようなこと。
現在の会社に大きな不満がなくても、いざというときに転職できるだけのエンプロイアビリティを高めておくことは、ストレスの少ない生活、お金に困らない生活をするために非常に重要なポイントだ。

また、家族(奥さんや子供)が駐在期間が終わった後にどうするのかについても考えておきたい。例えば、駐在員の切実な問題として子供の教育がある。日本に帰国した後もインターナショナルスクールで育った子供の例を何人か聞いているが、成長過程で日本語をどの程度習得できるか?はやはり教育によって大きく異なる。最悪のケース、日本語も英語も中途半端になってしまうケースがある。
ことばというものは、やはり高度な思考をする上で不可欠なものなので、言語習得が不完全だとその後の脳の発達に影響があるように思う。理想は「日本語も英語もペラペラ」だけど、子供の成長度合いや適性を見て、どいういう教育を受けさせるか慎重に決めたほうがいいだろう。

ちなみに、日本のインターナショナルスクールは、授業料が高い上に、先生の態度がデカイという話を聞いているため、あまりいい印象はない。まぁ日本に帰国するとなったら普通に公立に行かせる気がするけど。


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上記のようなことも考えたいと思いつつ、実は今回の帰省ではもう少しとりとめのないことを考えていた。いわゆる「しあわせ」って何なのか?ということ。人それぞれだし、答えのない問いだけど、結局みんな「しあわせ」の最大化を目指して生きているわけだし。答えが出ないながらも、細く長く考えていきたい…